自由は、まだまだ遠いと思った話

実はこのブログの裏テーマは、「女性が役割から解放されて、自分のやりたいことをやろうよ」っていうことなんですが、それも家族が健康で、何事もなく毎日が過ごせているからこそできるわけです。

女が「自由に生きる」っていっても、家族がいるとなかなか思うようにいかないっていうのを、先日久々に痛感した出来事がありました。

夫が突然、入院することになったのです。

今日はそんなお話から。

 

ある朝それは突然に

本当にそれは突然で、ある朝眼医者に行ったら、それっきり。即日手術で、そのまま一週間入院という事態になったのです。

あんまり突然で、まるで事故にでもあったような感じでした。

 

そうなると、もうすべてが病院中心の生活になります。

もちろん完全看護だから付き添うことはないけれど、差し入れを持って行ったり、洗濯物を持ち帰ったり。

 

さらに、家で夫の担当だった仕事も私がやることになったわけです。

 

小さきいのち

夫は我が家のちっちゃいものクラブ担当です。

クラブのメンバーは、わんこ、トマト、ハーブ、寄せ植えなど、お世話が必要な、命ある小さき者たちです。

 

朝夕わんこと散歩し、ささやかな家庭菜園に水やりをし、花がらを摘む…。

そんなささやかな時間は、気持ちと時間にゆとりがあるときには大層優雅に思えるけど、気持ちがガサついて硬くなっているこんな時には、楽しむゆとりもなく。

セカセカと早くこなそうと焦るばかりでちっとも楽しめない。

 

心の奥のほうに、小さいけど硬くて重い塊がある感じ。

それに名前をつけるとしたら「不安」とでもいうんだろうか。

 

別に命にかかわるような病気ではないのに、「入院」というだけで、人はなぜこんなに気持ちが沈むのでしょう。

 

喪失感が奪う日常

そんな中、わたしはすっかりペースを崩してしまいました。

仕事のパフォーマンスも落ち、ブログの更新もできなくなってしまったのです。

 

べつにね、つきっきりで看病とかいうわけでもないけど、いるべき家族がいないというだけで、調子がくるってしまうんですね。

 

夫は退院してからも数週間は自宅で療養し、1か月後には職場に復帰しました。

今では1か月に1回、通院して経過観察をしています。

通院の時は、眼底検査をするために 散瞳する(薬で瞳を開いたままの状態にすること。瞳孔が開いた状態なのでとてもまぶしい)ので、車の運転はできないため、送り迎えが必要です。

 

こうやって、家族の事情に付き添っているうちは、本当に「自由」にはなれそうにありません。

 

それでも最近、やっと元気を取り戻してきたので、また、ブログを再開します。

英語の勉強自体もおさぼり状態だったので、また一からやり直しです。

 

ぼちぼちと更新するので、ゆるりとおつきあいくださいね。

 

 

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